戦国・小和田チャンネル/石垣に石塔・石仏が積まれたのはなぜ?
戦国・小和田チャンネル
石垣に石塔・石仏が積まれたのはなぜ?
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こんにちは小和田です。今日はですね「石垣に石塔・石仏が積まれたのはなぜ?」というそういうテーマで少しお話したいと思います。
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去る7月12日ですね、日曜日にNHKの総合テレビで「ニッポン不滅の名城」
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これがサブタイトルが「~明智光秀の城から読み解く本能寺の変の謎~」というね、そういうタイトルの放送がされました。
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これ実は以前、NHKのですねBSプレミアムで放送されたものなんですけれども
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結構、好評だったということで、総合テレビでの再放送となったというものです。
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このテレビでの場面では、千田嘉博さんが坂本城と黒井城。そして、私が
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福知山城ではですね、由良川の流れ
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これがちょうど由良川と土師川とぶつかるところで、洪水がよく起きるということで
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そこに堤防を築いて、水害から町を守ったっていうことと、もう一つ、天守台の石垣にですね、石塔類だとか、それがたくさん
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使われているということを、私はその時には特に取り上げてもらいました。
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こうした石塔類・石仏類を石垣の石に使うというのを「転用石(てんようせき)」、転ぶという字と用いるという字と石という字を書くんですが、転用石というふうに呼んでいます。
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これは何も明智光秀だけのことではありませんで、光秀の主人であります織田信長の安土城でも見られます。
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安土城に行かれた方は、階段の敷石にですね、横の方に石仏が置かれているので危なく
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踏みそうになったっていうね、経験をお持ちの方もいらっしゃると思うんですけれども
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こうした石垣の石とか、あるいは階段に
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石塔類あるいは石仏、そういうのを置くっていうのは、一般的にはですね、いわゆる石不足を補うため
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これが一つ、要するに城を造るにあたって、石垣を積みたいんだけど、近場に石がない時に、お寺にあるそういう墓石しなんかね
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どんどんどんどん、力ずくで腕ずくで持ってきたといういわゆる、「戦国無頼(ぶらい)」という言い方、あるいは、これは信長に象徴的なんですけれども、むしろ宗教的な「中世的宗教権威の否定」
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というね、そういった観点での説明がたぶん、これまでなされてきたというふうに思います。
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ただですね、私自身はそれら石塔類が逆さまに置かれているというね、そういうことに気がついてまして、何か意味があるのではないかなというふうに考えていたんですよ。
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有名な豊臣秀長が築いた大和郡山城
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いまの奈良県大和郡山市、その大和郡山城には、その名前もズバリ「逆さ地蔵」という名前のお地蔵さんがありましてね、これはその名前の通り
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お地蔵さんが天守台の石垣として、まさに逆さまに積まれているんですね
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どうもねそれを見たときに、逆さまにするってことに、何か意味があるんではないかなというふうに
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そのころはただ漠然と考えていました。もちろんいろんな福知山城の石、あれにしても
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宝篋印塔(ほうきょういんとう)の石が逆さまにね、台座石が置かれているっていうのを
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そのあたりがね、ちょっと気にはなっていたんです。それから、もう一つ
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もうこれだいぶ昔、 だいぶ前の話なんですけれども、掛川城の本丸跡が発掘されたことがあるんです。
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これは例の掛川城の天守復元のための事前の調査。掛川城天守は、これご存知の方も多いと思いますが
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木造で復元したんですね、建築史の宮上茂隆さんの設計で、私もその復元整備の委員に入ってましたので
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しょっちゅう、発掘現場には足を運んでいたんですが、そのときですね、ちょっとびっくりした光景があったんですよ。
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これは、実は、私の本にも載ってるんですが、墓地ですね
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まさに、あの墓石を壊して、そのままそこに土盛りをして、本丸御殿を造っているという状況を
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見たとき、ちょっとびっくりしましたね。墓地を壊してその上に土盛りをして
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本丸を築いていたわけですよね。私どもはやっぱり墓地っていうと、何かそれを壊すということに何か祟りがあるんじゃ
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ないかとかね、 考えたことがあったわけですけれども
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そんなのも、ちょっと頭の隅っこに引っかかってまして、それと石塔類を逆さまに積むと
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いうことの関連性みたいなものを
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民俗学の専門家にちょっと質問をぶつけたことがあるんですよ。新谷尚紀さんといいましてね。これ、こんな本を出しているんですけどね
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『なぜ日本人は賽銭を投げるのか』なんていうね面白いタイトルの本を出して、私がお会いしたころは
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国立歴史民俗博物館の、そのころはまだ助教授だったんですが、そのあと教授になりまして、いまは國學院大學の方の教授もされてますが、その新谷尚紀さんと、ちょっといろいろと
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雑談をしたことがありました。この新谷さんは私の大学院の後輩でしたので、それで比較的気安く
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いろんな話をね、ぶつけることができたんですけれども
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この墓地をならしてね、その上に建物を建てて平気だったのかと
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それと、あと、「逆さ地蔵」だとか、なんかみんな逆さになっているけど「それ何か意味があるのか?」ということを率直に質問を
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ぶつけてみたんですけどね。そうしましたら、新谷さん曰く「それはケガレの逆転だよ」
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っていう言い方をしてました。
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新谷さんによりますとね、地方によっては本堂の礎石ですね、お寺の本堂の礎石に
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まさに五輪塔の五輪の塔の石を使っているところもあるそうです。それから
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あと、これも面白い話を聞いたんですが、お葬式、むかしね、棺桶を担いだりなんかして
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要するにお墓に埋めに行く
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土葬のときですね、そのときにお棺を担ぐ人の履いていた草履
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これもう、終わると全部捨てるんですけれども、それを、その行列に参加した人が
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競って拾うっていうね、それを、その捨てられた
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葬式のときに使った草履を履くと足が丈夫になるというね、そういう言い伝えがあるという話も聞いて
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ちょっとびっくりしたんですけれども、まさに
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一種のまじないの意味も込められているというふうな
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そういう示唆を受けまして、「ケガレの逆転」というね、民俗学の発想が
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単なる石不足、「戦国無頼」では説明がつかない、石垣にいろいろ「転用石」を使っていた
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一つの大きなね、理由なのかなということがみえてきました。
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ぜひぜひ福知山城に行かれたときは
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そういった「転用石」がどういうふうに使われていたか
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どういう物が「転用石」として使われていたかというところが、実際に見ることができますので
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訪ねた折には、ちょっとね、見ていただきたいと思います。
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今日は「石垣に石塔・石仏が積まれたのはなぜ?」、「ケガレの逆転」というね
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一つの考えがそこから生まれてくるというところをお話させていただきました。
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今日は以上で終わらせていただきます。