カルチャーラジオ 歴史再発見-古代天皇制はいかにして成立したか

カルチャーラジオ 歴史再発見
「古代天皇制はいかにして成立したか」(1-13)
國學院大學文学部教授…佐藤長門

第1回【倭の五王と委任独裁~5世紀の古代王権(1)】
第2回【倭の五王と委任独裁~5世紀の古代王権(2)】
第3回【世襲王権の成立と合議制~6世紀の古代王権(1)】
第4回【世襲王権の成立と合議制~6世紀の古代王権(2)】
第5回【女帝の登場と王権継承争い~7世紀の古代王権(1)】

https://www4.nhk.or.jp/P1927/5/

カルチャーラジオ 歴史再発見
「古代天皇制はいかにして成立したか」
(1)<全13回>【倭の五王と委任独裁~5世紀の古代王権(1)】
國學院大學文学部教授…佐藤長門

第1回「倭の五王と委任独裁~5世紀の古代王権」。中国・宋の歴史書「宋書」によると5世紀初頭から約1世紀にわたり倭の五王は代々、将軍号などの称号をもらうため南朝の宋に使者を遣わし貢物を献上していたとあります。倭の五王とは、讃、珍、済、興、武の5人であったといわれています。今回は“「宋書」倭国伝”“「梁書」倭伝”の史料を読み解くと共に最新の研究者の見解を紹介し倭の五王の続柄や系譜をひも解いていきます。

「古代天皇制はいかにして成立したか」(2)
【倭の五王と委任独裁~5世紀の古代王権(2)】 國學院大學文学部教授…佐藤長門

第2回「倭の五王と委任独裁~5世紀の古代王権その2」。埼玉県の稲荷山古墳から出土の鉄剣の銘文には雄略天皇と思しき「ワカタケル大王」の名が刻まれ埋葬されているのはこの地域の首長「ヲワケ」とあります。今回は「ヲワケ」とはどのような存在だったのか。5世紀当時の「大王」と「ヲワケ」はどのような関係だったのか。倭の五王はなぜ宋の皇帝に列島支配の承認を求め、中国からの委任という形をとったのかをお話し頂きます。

「古代天皇制はいかにして成立したか」(3)
【世襲王権の成立と合議制~6世紀の古代王権(1)】 國學院大學文学部教授…佐藤長門

第3回「世襲王権の成立と合議制 ~6世紀の古代王権」その1。大王を排出していた一族は武烈で断絶、次に即位したのが継体でした。彼は仁賢皇女の手白香に婿入りする形で王権を継承、その後行われた三代にわたる、入り婿婚の伝承は「継体王統」が新たな大王家としての正当性の保持に、いかに腐心したかをうかがわせます。今回は、王権の継承が、どのようにして血統を重視する世襲制へと移行していったのかをお話し頂きます。

「古代天皇制はいかにして成立したか」(4)
【世襲王権の成立と合議制~6世紀の古代王権(2)】 國學院大學文学部教授…佐藤長門

第4回「世襲王権の成立と合議制~6世紀の古代王権その2」。6世紀に入ると地域の首長(国造)に対し同族で下位首長が国造職を求め反乱を起こし始めます。地域首長が倭王権に中継する国造に退転したことで大王の在地支配が下位首長まで及び地域の抗争への介入が可能となり、王権の意思統一を図るため有力階層を一つにまとめる合議機関が創設されました。今回は蘇我・物部の台頭と両者の王権継承をめぐる抗争をお話し頂きます。

「古代天皇制はいかにして成立したか」(5)
【女帝の登場と王権継承争い~7世紀の古代王権(1)】 國學院大學文学部教授…佐藤長門
第5回「女帝の登場と王権継承争い ~7世紀の古代王権その1」。7世紀に入り、欽明天皇から敏達、用明、崇峻と続いた後の継承者問題が浮上。竹田皇子、厩戸皇子が検討されましたが、まだ若年であるということなどで、欽明の子であった推古が継承することになります。女帝の登場です。今回は女性である推古が継承した背景と没後の混乱、二人目の女帝となった皇極の譲位について、研究者たちの考察を交えお話しいただきます。

「古代天皇制はいかにして成立したか」(6)
【女帝の登場と王権継承争い~7世紀の古代王権(2)】 國學院大學文学部教授…佐藤長門

第6回「女帝の登場と王権継承争い~7世紀の古代王権その2」。天智天皇と大后倭姫王との間に子はなく後継者としての大兄が不在のため抗争が起こる可能性が高くなっていました。そして大友皇子と大海人皇子(後の天武天皇)の王権継承をめぐる天武元年(672)に起こった「壬申の乱」は大海人皇子の勝利に終わります。今回は「壬申の乱」の起こった経緯および草壁皇子をめぐる持統女帝の即位の背景についてお話し頂きます。

古代天皇制はいかにして成立したか」(7)
【草壁系王統と「不改常典」~8世紀の古代王権(1)】 國學院大學文学部教授…佐藤長門

第7回「草壁系王統と『不改常典』8世紀の古代王権その1」。日本最古の漢詩集「懐風藻」によると、群臣合議により皇位継承は嫡系継承が選択されたとあり、以降は文武の子孫(草壁系王統)が継承していくことになります。今回は文武天皇から聖武天皇に即譲位しなかったのは天智天皇が定めた法である「不改常典」によるものであったこと、聖武天皇の次の継承者を巡って729年に起きた「長屋王の変」までをお話しいただきます。

「古代天皇制はいかにして成立したか」(8)
【草壁系王統と「不改常典」~8世紀の古代王権(2)】 國學院大學文学部教授…佐藤長門

第8回「草壁系王統と『不改常典』~8世紀の古代王権その2」。「長屋王の変」で長屋王および吉備内親王は自殺、継承者を巡る争いは激動の展開を見せます。藤原4兄弟の妹で聖武天皇の夫人、光明子を皇后に立てその子、阿倍内親王を安積親王の上位におきます。749年、阿倍内親王=孝謙女帝が誕生。孝謙女帝は独身を貫き、大炊王(後の淳仁天皇)を立太子します。今回は藤原仲麻呂の反乱、道鏡事件までの経緯を解説頂きます。
残り 「古代天皇制はいかにして成立したか」9-13




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